満州国に対する母の思い出

満州国に対する母の思い出

今日のテーマは、個人的なことで恐縮ですが、満州国で生まれ育った母(故人)の思い出についてお話します。

先週、「平和のための戦争展・小平」(小平中央公民館ギャラリー会場)に行ってきました。

戦争の悲惨さや残酷さを示す写真や雑誌、小平での旧軍の歴史等が展示されていました。

そこで、ふと目にとまったのが、満州国の地図(写真)でした。
(携帯写真が小さく不鮮明で恐縮です)

展示されていた満州国の地図

満州国の地図(ネットからの引用)

その一角は、満州国の邦人の帰国の様子、その帰国過程の様々な悲惨な体験が語られた展示コーナーでした。

その瞬間、私が小さい頃の母の記憶が蘇ってきました!

私の母は、私が中学生のときに病没しました。

母方の祖父は、山梨県育ちだったのですが、大志を抱いて満州鉄道に入社して満州国の首都「新京」(現在の長春)に住み、そこで母が生まれました。

その後、戦況が悪化。

敗戦直前に、まず関東軍が日本人居留民を見捨てて自分たちだけで撤退。

残された居留民に襲いかかってきたのがソ連兵や中国兵でした。

私の祖母は、ソ連兵に乱暴されそうになっても、あくまで抵抗したため、その場で射殺されてしまいました。

その様子を見ていた母(当時15歳)は、茫然自失。

そのショックも癒えぬまま、周りの人々と一緒に、頭を丸坊主にして顔に炭を塗り(つまり男子の格好をして)、命からがら日本に逃げ帰ってきました。

途中で、井戸に赤ん坊を捨てたり、我が子を置き去りにしたり、野盗にあったり、、、、。

満州帰りの方々が味わった凄まじい苦しみや悲しみは周知の通りです。

母は、滅多に満州のことを私に言いませんでしたが、台所をしながら、時々「ここはお国の何百里、、、」と満州の歌を口ずさんでいたのを思い出します。

戦争で、露と消えていかれた方々、大きな被害を受け未だに身体の傷や心の傷が癒えぬ方々等に対しまして、あらためて。心から哀切の誠を捧げます。

二度と日本を戦争に巻き込ませない決意を、政治家として改めて自らに確認しました。